こちらはポ○モンと二次創作に関するお絵かきと駄文のブログです since 2004.07.01
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旧劇地上波放送おめ! でも関西でやってくんないのね(´・ω・`)
 どうして関西ではエヴァ旧劇を放送してくれないんだ><
 悔しいので、ちょっとエヴァについて書いてみる。どうやら、昨日日テレで放送された旧劇はカットシーン多々アリの、EDの構成が違いーのの、って感じだったらしくて。ああ悔しい。こっちで放送されてたら、絶対実況しまくってたのに。くすんくすん。
 なので、自分的eva観でもちょっとエントリしてみよかな、と(・ω・)

01


 ともかく旧劇では超巨大綾波の美しさ(≒醜さ)がたまらなく好きです。基本綾波のが好きなんだけど。今のはキャラ萌え的発言。
 ナニを今更、エヴァ旧劇に語ることがあろうか、という気もするのだけど、ツイッタのTLで「やっぱりわからん」との声が多数だったので、自分なりの解釈を忘備録的に書いておこうかな、という感じでして。
 そんな訳で、続きは下から。





 「何が言いたいのかわからない映画だ」との感想が多い旧劇ですが、ものすごいシンプルなテーマだ、という風に私は解釈してます。つまり、これ。

“生きるのって気持ち悪い”

 結局これなんじゃないかな、と。アスカの最後のセリフでもあるんだけど、アスカが言う辺りがキモっていうか。
 このシーン、人類が保管されて、もはや地獄と化した地球、その浜辺でたった二人生き残った(?)シンジとアスカ。先に目覚めたシンジはアスカを見て、おもむろにアスカの首を絞めます。これは、作品の途中で保管の直中にいるシンジがアスカにやった行為そのまま、です。でも、絞め切れなかった。涙を流すシンジ。意識を取り戻したアスカがシンジに向けて言うのが「気持ち悪い」だったりするわけです。これで映画が終わり。

02


 どうやら、今回の地上波版、この後に劇場版では『air』と『まごころを、君に』の間で流された「THANATOS」が流れる訳ですが、この配置、映画のテーマを壊してしまう配置になってるんじゃないかなーとか思ったり。
 タナトス、という単語、そもそもはギリシア神話の死の神の名前ですね。そこから、フロイトが「死への欲動」という意味で使い始めることになります。その単語を冠した曲が、劇場版では『air』と『まごころを、君に』の間に流されます。作品では、シンジ君がエヴァ量産機に蹂躙された弐号機を見て絶叫、その前後ですね。そう、作中ではここから、もう死にまくり。死ぬというか補完されるというか。それ故に、劇場版でこの曲が流れるタイミングは非常に正しい訳です。間違ってない。むしろ、この配置でないと意味が変わってしまう。
 では地上波版では、なんで「気持ち悪い」の後にこれが流れたのか、を考えねばなりません。
 そこはやはり、もうじき放送される『新劇 破』『新劇 Q』の為、なんだろうな、と。たぶん、これ新劇と旧劇をつなぐキモかもしれないな−、とか穿った見方をしたりもするんですがね。

 で、です。

 エヴァ旧劇のテーマは、先も書いた通り、【生きるのって気持ち悪い(≒だけど生きなきゃね)】だと思います。
 もしテーマが【死んでもイイじゃん、しんどけりゃさー】だったら、ラストシーン、シンジの隣にいるのは決してアスカじゃ無い筈なんですよね。
 アスカはシンジにとって「生」の象徴なのですから。そして綾波は「死」の象徴。アスカは「生」です。エロスですね。綾波は「死」。タナトスです。つまり、旧劇の根本は「エロスとタナトス」の二項対立なんですよね。
 これ、作中でもきちんと明示されてて、エヴァの第1話と、劇場版の冒頭を比較すると非常にわかりやすいのです。
 エヴァの第1話、ネルフの基地で包帯にグルグル巻きにされた死にかけの血だらけのヒロイン綾波に出会うシンジ君は、自らの掌にこびりついた血を見ます。
 下のスクショの通り、掌に血。これは「死の暗示」です。

03

04


 方や、劇場版の冒頭、集中治療室で眠るアスカを見ながらシンジ君はおもむろにごそごそ。どうやら今回の地上波版ではカットされたぽいんですが、劇場ではここはシンジ君のオナニーシーンでした。自分の掌にこびりつく精液。そして、これは、「生の暗示」です。
 このシンジ君の掌のシーンの比較でも、明らかにアスカと綾波の立ち位置が異なるのが判ろうというものです。
 アスカは「生」の暗喩ですから、シンジと同等の立ち位置に居ます。だからぶつかります。だけど、無駄に元気です。無駄にエロいです。そう言う意味では、シンジ君が前向きになれる存在、でもあります。最初にエヴァに乗ってしまったが最後、責任と「従順な子供」で居ることを強制されたシンジ君が呟く「逃げちゃダメだ」という後ろ向きな生への情動を「あんた馬鹿ぁ!?」と明るく罵倒的ニュアンスで肯定するアスカの存在は、シンジ君にはとても大きな存在だったはずです。
 綾波は「死」の暗喩です。しんどいときに逃げたいです。もうどうにでもなれ、的な最後の逃げ場的な安らぎもあります。アスカには安らぎはないけども、綾波にはある辺りが、実にひねたレトリックだなあ、と思います。そして綾波、初号機、とも共通するのが「母」ですね。「母」という記号を「死」のレトリックで安らぎと共に明示したキャラが綾波です。だからシンジ君は思いきり心惹かれる訳です。
 しかし、ここで一つトリックがあります。色の対比、が真逆なんですよね。綾波のイメージカラーは白。アスカのイメージカラーは赤。あれれー? 第1話の死にかけ綾波は「血」で=「死」を意味し、劇場版冒頭のアスカでのオナヌーシーンで「精液」が「白」で=「生」を意味する、と言いましたよね。でもイメージカラーは逆。そもそも「白」は、一般的に日本の死に装束が「白」ですし、生物学的に人間が「赤」を見ると気分は高揚するらしいですから「生」ですよね。おかしいじゃないか、と。
 エヴァという作品は、自作の中でこういうトラップを仕掛けてきます。その上、そのトラップにさえも答えを明示してるところがずるい。カヲル君が言ってるじゃないですか。「僕にとって生と死は等価なんだ」って。
 シンジ君が綾波とアスカ、両方に惹かれたのは、両極の二人でありながら同じ本質だったからなんでしょうね。その上で、ラストシーン、シンジとアスカが目覚める前に制服の綾波がちらりと映ります。見守ってる、という解釈も出来ますし、ここまでの私の文脈で行くと、「死はいつでも近くにいる」とも解釈できます。それは包帯でグルグル巻き、という綾波のアイコンを身にまとったアスカの服装からも判断できます。
 だからシンジ君は殺さなきゃ、と思う訳です。彼的には「生きるのしんどい」んですもん。だけど殺しきれない訳で。生きないとダメな訳で。いくら涙を流しても生きてしまう訳で。どんなにイヤだと思っても、また会いたい、って願ってしまう訳で。ならばイヤでも生きなきゃならない。
 そんなシンジ君を見て「気持ち悪い」とアスカは看破。劇終です。
 エロスとタナトスの二項対立と見せかけて、その実裏表の関係だ、って訳でして。だから、テーマ的にはそんなに複雑なことを言ってる訳じゃないんですよね。文字通り「生きろ」なんですわ。正確には「生きろ(≒ヤだけど、渋々、な)」だと思うのです。
 ……でも。
 ……でもね。
 はっきり言って、生きるも死ぬも、そんなどでかすぎるテーマを提示されたって困る訳ですよ。そもそも「生きろ」と言われても、「生きてますが、なにか?」じゃないですか。「いや、それよりも登場するキャラのハッピーなところ見て癒されたいんですが、庵野はどうしてそれを描いてくんねーのかね」と思うのが普通です。少なくとも、旧劇が上映された1997年当時よりも今の方が、その方向性はより顕著でしょう。だからこの旧劇エヴァは徹底的に現代の視聴者に優しくないですもん。
 だって、すごい上から目線ですからねえ。「アニメに逃避せずに現実を生きろ」って言われても困るって言うか、いちエンターテインメントであるアニメーションの癖に、ナニを上から目線な、ですわな。
 そこは富野作品で度肝を抜かれた世代の宿命というか。ザンボット3で度肝を抜かれ、ガンダムでときめき、イデオンで打ちのめされた世代としては、エヴァの言いたいことはすごくよく判るというか、ある意味富野作品の系譜に素直に乗った上で解釈できる良作、それがエヴァンゲリオンなんですけどねえ^^; 実際作り手側の庵野も富野作品をリアルタイムで楽しんだ世代ですから、その結果が説教臭いメインテーマにつながる作品作りになってしまってる訳で。
 ただ、現実は、エンターテインメント作品が明示するテーマよりも遙かに生きにくい社会です。「確かに作中の登場人物は、現実の我らに比べると苦労して、それでも生きようとしてるさ! だけどな、現実を生きてるのは俺らなんだよ! 娯楽作品の分際で偉そうに講釈垂れるんじゃねえ!」と普通であれば思います。だから、エヴァは理解されにくいんです。エヴァがわかりにくい、のではなく、「理解及び納得しにくい娯楽」というだけなのです。
 そう、「納得したくない作品」なだけなんですよね。

 で、です。
 ここからは、新劇への流れについて少々。
 エヴァのわかりにくさは、作劇の上での情報量の多さも関係してると思います。死海文書て? なんやゼーレって。福音だのMAGIの名称が東方の三賢人ってなんぞなんぞ。もう、キリスト教的な衒学趣味だらけで、うざいうざい。それを楽しめるかどうか、もエヴァというコンテンツのキモではあります。
 でも、映画の内容的には全くキリスト教的じゃないんですよね。
 どちらかというと、恐ろしく仏教的だったりするんです。最終的に、「人類補完計画」の名の下、人類と言うか地球環境の「生まれ変わり」を現出させた訳で、このあたり全くキリスト教じゃない訳ですよ。仏教的、もしくはギリシア神話的。だからエロスとタナトスなのかしらね、とか。
 旧劇のラストは真っ赤に染まった海、その浜辺です。対して、新劇の海は初っ端から赤い。旧劇の直接的な続編が新劇である、と考えればカヲル君の「今度こそ君だけは、幸せにしてみせるよ」のセリフも意味を成す訳で。

05


 そう考えると、今回の旧劇地上波版のエンドロールに「THANATOS」が来たのは、旧劇のシンジとアスカにも「死」を明示させないとイケナイ、という意図からなのではと類推することが出来る訳でして。つまり、新しい世界を作り上げた神となったシンジ君に対しても冷徹に「死」を宣言することで、さらなる世界の生まれ変わりを印象づけることが出来ます。今回の地上波の改編はそのあたりにも関係してるんじゃないかなあ、とかゲスな勘繰りをしてみる訳ですが。
 一般的な印象では、新劇は旧劇とは違い、少なくとも『破』ではシンジ“さん”と呼びたくなるくらいにアグレッシブに成長したシンジ君が、『Q』で斜め下の進化をしてしまい、更に混乱した状態で「今度こそ君だけは」と言っていたカヲル君すらも退場しちゃって、「なんだよ結局旧劇と同じかよックソがッ!!」と全国の観客が失望した、ってのが現在だと思うんですが、よくよく見ると違うんですよね。明らかに旧劇とは展開が全く違うんです。
 旧劇ではアスカも綾波もシンジ君のことなんかどうでもイイ感じで、それぞれの運命通りに動く訳ですが、新劇ではシンジ君を助けに来るんですよね。ここは全く違います。なおかつ、エヴァの呪い、という設定が新たに出来て、アスカは歳を取りません。
 『Q』のラストシーン、アスカ、綾波、シンジの三人でとぼとぼと歩く引きのショットで〆、なんですが、私的には非常に前向きに終えたなあ、とびっくりしたんですよね。少なくとも、あれはバッドエンドじゃない。シンジ君が過去に必死の思いで零号機から綾波を助け出したように、今度はアスカと綾波が必死にシンジを助けてくれている。立場の逆転です。これが明るい兆しでなくてなんなのか!? と感じたんですが……。
 『序』で「ぼくは誰かを助けられるかも」
 『破』で「ぼくは誰かを助けるんだ!」
 『Q』で「ぼくは誰かに助けられるかも」
 この三段飛びは、少なくとも旧劇にはなかったプロットです。シンジ君が能動的に他者に働きかけ、その成果と自信をつかみ、でも失敗したときに誰かが手を差し伸べてくれることを経験するんです。こんな展開、旧劇にはなかったですよ!
 だから、『Q』の評価がものすごく低いのもわかるんですけど、でも「旧劇と同じだ」って指摘は間違ってると思います。完結編の『:||』でどのようにシンジ君ががんばるか、楽しみに待つ私なのです。
 ……今気が付いたよ。『Q』って『シト新生』や『Air/まごころを、君に』を総称するところの“旧劇”と読みが「きゅう」ってところは同じなんだなあ。なるほどね。そりゃ印象がバッドな感じになっても当然ッちゃ当然よね(・ω・)


06


 巨大綾波、うつくすい……。

 久々の論評系エントリでした♪
れびゅー♪ | 17:26 | author : ako | comments(0) | -



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